昭和46年03月09日 朝の御理解



 御理解 立教神伝

 立教神伝。立教神伝を教祖の神様が受けられて、そして金光教が始められた。だから次にどの様な在り方にならせて頂いたら立教神伝の内容を世の中に表して行けるかという。神も助かり氏子も立ち行く。氏子あっての神、神あっての氏子、繁盛致し末々親にかかり子にかかり相いよかけよで立ち行くと行ったような世界がどの様な行き方、在り方にならせて頂いたらそういう立教神伝の内容が実際の上に表れて來るかと言う事を聞いて頂きたいと思いますが、先ず立教神伝を読みますからね、良く考えながら聞いて下さい。
 
  立教神伝
 此幣切り堺に肥灰差し止めるから其分に承知して呉れ。外家業を致し農業へ出人が願い出呼びに来戻り、願いが済み又農へ出又も呼びに来農業する間もなし。来た人も待ち、両方の差し支えに相成る。なんと家業を止めて呉れぬか。其方四十二歳の年には病気で医師も手を放し、心配致し神仏に願い、おかげで全快致し。其時死んだと思うて欲を放して天地金乃神を助けて呉れ。家内も後家になったと思うて呉れ。後家よりまし。もの言われ相談もなり子供連れてぼとぼと農業しおって呉れ。此方の様に実意丁寧神信心致し居る氏子が世間になんぼうも難儀な氏子あり。取次助けてやって呉れ。神も助かり、氏子も立ち行く。氏子あっての神、神あっての氏子、繁盛致し末々親にかかり子にかかりあいよかけよで立ち行く。

 最近は御神戒、御神訓が月次祭度に、大祭度に奉読されとりました。最近では最近というかここ二十年余りでしょうか。殆どこの立教神伝ばかり読まれることになっとります。それはまあ、立教神伝というこれがまあ、どんなに意味合でお道の信心に一番大切な事であるかと、ま、事であると言う事の為にここのところを良く腹に入れておる必要があろうと思います。安政六年十月二十一日にこの立教神伝が下がっておりますね。これは天地の神様の、いわば理想実現がここに声明された訳ですね。
 安政六年十月二十一日にです、神様の理想実現を目指して、いわば教祖ご出現と言う事に依って、初めて神様の御心の内というものがはっきりされた訳です。それはどう言う事であったかと、それはそれ迄に、いうならば開びゃく以来、天地開びゃく以来様々な宗教が有った。いわゆるそれは神様に願うとか、すがるとか言う様な事であった。神様が頼まれると云った様なものじゃなかった。
 これはもう明らかに神様が、いわゆる人間教祖に頼まれた。そしてそこから、いうならば百十年前の安政六年十月二十一日を境に神様の理想実現を初めて心の内を人間に伝えられた。ですから、初めのところは切々と神様がね、お前はあの時死んだと思って欲を放してどうか神を助けると思うてという風に言うておられますね。そして最後のところに神様の心をずうっと吐露しておられます。神も助かり氏子も立ち行く。氏子あっての神、神あっての氏子。
 繁盛致し神の願いがそこに掛けられ、末々親に掛かり子に掛かり相よかけよで立ち行く。これは考えてみるとこれは大変な事と思います。そういう世界が、いわば顕現される。表される。それにはね、矢張り御理解六十三節に「一粒万倍というが、一人がおかげを受けたので千人も万人もおかげを受ける様になるから、良い手本になる様な信心をせよ。」と一粒万倍、そのおかげというのがです、一粒万倍。日本人が段々おかげを受けて来たことに依って、アメリカの人も中国人も、いわゆる全世界の人達がです。
 助かって行くことの為に、しかもその助かり方がです、神も助かり氏子も立ち行くと云う助かり方にならして頂くような、芽が出らなければならない。だから私共が一人がおかげを受けた為にというのはそういうおかげでなからなければならないと言う事になります。神の願いが氏子一人一人の上に成就して行くのがおかげでなくてはならないと言う事なんです。お互いの願いが成就すると、おかげを受けて一人がおかげを受けると言う事が、おかげで病気が治りましたと言うた様なおかげではなくてです。
 神の願いがその氏子一人一人の上に成就するほどしのおかげ、そういうおかげを頂かなければ、神の願いに応えることが出来ん。そういう一粒の種にならなければならない。でなかったら神も助かり氏子も立ち行くというおかげにならない。私が願いをさして頂いて商売繁盛のおかげ頂いとりますというのでは、これはいうならば今までの宗教と大差はない。百十年前にそういうおかげを頂かせてもらうと言う事をです。難儀な氏子を取次助けてやって呉れ。
 だから私共はどうしても神も助かり氏子も立ち行く様なおかげ、あいよかけよでたちゆく程しのおかげそういうおかげを頂いて、それをおかげの種としなければならない。そうでなかったら金光教出現の意味がない。只私共がおかげを頂いたと云うだけでは、ここんところが、いうならば神の願いなんです。神の願いが氏子一人一人の上に表れて來る。神の願いが人間氏子一人一人の上に表れて來る。その願いが成就する時にです、初めて神も助かり氏子も立ち行くと言う事になる。
 そういうおかげが一粒万倍と言う事になって來る。一つが万になる。万が億になると言う様にそういう神様の理想実現の証がです、110年前に教祖の上に表れたと言う事になります。そこで神の願いがその様な実現を見ることの為に、続いて天地書附が有る訳ですね。立教神伝の次に、天地書附一枚はぐりますと天地書附。「生神金光大神、天地金乃神一心に願え、おかげは和賀心に在り。今月今日で頼めい。」と言う事である。昨日、毎月御本部から教報が送って参ります。
 教団内のいろんな事が詳しく報道される訳であります。その中に、いわゆる現在社会に布教して行くことの為にですね、甘木の安武先生の様な御信心、又は甘木の安武先生の様なお方、または大阪の玉水教会の初代会長であるところの湯川安太郎先生方の様な信心。いわば、安武、湯川という様な信心者がです、今の時代にも必要だというておられます。ところがそれぞれに個人差というか、性格というものが全然違う。まあ例えば極端に申しますと甘木の初代はそれこそ、天地の御恩徳を体得される。
 天地の御恩徳を明けても暮れても天地の御恩徳を説かれた。それに依って天地の御恩徳を悟れないにしても、それが察知出来る、少しばかり分かっただけでも矢張りおかげ受けた訳です。そこで一すくいの水でもお粗末には出来ないと言う事になり、枯れ枝枯葉一枚でも親神様の御物と云うことになってきた。そういう信心させて頂くとおかげを受けた訳です。これが安武先生の御信心でしょうね、一言で云いますれば。湯川先生の御信心の場合は、そういうことは仰ってないです。
 何処までもあすこは商都と云われる程しの商売人の町ですから、もう商売人が沢山お参りして來て沢山おかげを受けられる。そしてその説かれるところは、何時も目指しておるところは神様が御主人と言う事である。神様が御主人。今まで自分が店主と思っていたのが、お前が番頭、そこの奥様と思っていたがそれはそこの女中頭と言う様な表現をもって神様の心を説かれた。そこで沢山の人が助かった。全然助かり具合が違うでしょうが。一家の中の中心は神様である。神様が御主人である。
 どれだけ借金を持っておっても、お前が持つのじゃない、これからはいわゆる御主人様に持って貰うんだ。神様に持って貰うんだ。で今迄店主と思うておったお前は。今迄社長と思うておった、お前はもう今日からお前は社長ではないと、そこの従業員だ、云うならば支配人だ。店主は、社長は神様だ。そこの家の家内である、いわゆる奥様と思うておったのは女中頭ぞと云う様な教え方をなさったんですね。
 徹頭徹尾そういう生き方で、いわゆるそういう説き方で金光教を説かれた。けれども段々時代が変わって参りました。例えば、日露戦争、日清戦争が先でしたね。その当時支那と言っておりました。支那との戦争、それから十年後には日露戦争がその当時日本と、ロシヤとの戦争が始まった。そして十年後には欧州大戦ですね。日独戦争ともいった。たった十年間宛位な間にその戦争の様相が変わって仕舞った。日清戦争の時なんか日本から皆渡ったのはワラジ履きですよ。十年後には靴を履いておる。
 いわゆる日独戦争にはドイツは空を飛ぶものを発明しておる。飛行機いわゆる飛行艇、そしてロンドンを爆撃しておりますね。もう大東亜戦争になりますと、そのもう様相は全然変わって仕舞った。それこそピカドンですね。ピカドン一つで戦争のケリが付くという程しの事にその戦争の様相が変わって仕舞った。まだ戦争の名残がベトナムあたりが戦争をやってますね。けれども早晩その例えば、戦争の様相と云うものは変わってくる。まだどんなに変わるか分からない。
 言うならば医学なんかでも精神医学なんかが非常に発達して来ています。心で治そうという医者やら薬やらはそれの補いにする程度、段々そんなもの要らん様になるかも知れん。心一つでいわば、人を助ける。そういう道を学問的に説いて分からせて病気でも良くなそうと云った様な機運がある。
 ですから、お道の信心の助かり具合というものはね、その様相が段々変わって来た。成程天地の御恩徳は素晴らしい。いわゆる神様が御主人ぞと言った様な表現はおかげを頂くと云う点では素晴らしい。それこそ何というか神様の心をえぐる様な感じさえする程しの表現である。神様がおかげを下さらにゃ居られない程しの表現である。人間がそういうこころの状態になったらもうおかげやんなさらん訳にはいかん様な表現である。
 神様が御主人だという、もし思い込みが出来たとするなら、自分は何処までも一使用人であるという、受け方であるなら私というものがない。安武先生の場合でもそうである。天地の御恩徳、そこが分かれば深い天地に対するところの、神恩の心というものが生まれて來る。だから天地の御物を、その物を大切にさせて頂くところに神の働きが表れる。矢張り安武先生と、湯川先生との性格の相違とでも申しましょうか、又は時代の相違ともいえると思います。
 そこでね、例えば合楽で言うておること、合楽で私が二十年間説いて来ておることは一寸違う。言うなら、日清戦争と日露戦争と云う位には違う。大東亜戦争のいわば、終着を見たと言ったのが原子爆弾であった様に本当に原子爆弾的なですね、信心がね、今の時代に求められておると言う事。決め手それを何処に置くかと言う事。勿論そこんところが分かれば天地の御恩徳と言う事も又は神様が御主人ぞと、いう神様中心と頂くその頂き方もその中に包含される事だろう。その意味が分かる。
 おかげを頂くという訳が分かる。これではね、けれども本当の意味に於いての一粒万倍、いわゆる原子爆弾的なおかげと申しましょうか。神様が願うておって下さるところの神も助かり氏子も立ち行くという、氏子あっての神、神あっての氏子、末々親にかかり子にかかり相よかけよで立ち行くと云う様なおかげに展開して行くにはです、まだまだそれでは足りない感じがする。そういう本当の意味に於いての立ち行く、神様も本当の意味に於いて助かって下さる。
 氏子も立ち行く、そういう内容を一番濃厚に持っておるのが現在の 合楽だと私は思うのです。昨日の朝の御理解に申しました様に、これは現代ですよ、百年前はそれで良かったかも知れん。五十年前はそれで良かったかも知れん。ところが金光教がその様な立教神伝に依って金光教が誕生した。いや金光教の誕生を見なければならない時期になっておった。そして教祖金光大神という亦と無い人物を天地の親神様が発見された。そして神の願いをここに吐露れた。
 どうぞ神を助けてくれ。神様が助かって下さるという程しのおかげ、それは確かに天地の御恩徳でもあろう。神を中心にした生活であることであろうけれども、それだけではまだ何といおうか、安武先生とか湯川先生の御信心の性格そのものがその様に表れて来たのであって、誰でもそれを真似すると言った様な事は出来ないような感じ。だから本当の金光教というのは、何処に焦点を置かなければならないかという焦点を、今合楽で私が云うておるところが焦点になられる様な時代が来ておるのではないかと私は思う。
 桜井先生が頂いておられる様に合楽の願いが神の願いだと、これは現在のところに於いては、先になって來れば又変わって來るかも分からん。もっともっと垢抜けのした様なことになって來るかも知れん。
 だから、教祖様の御教えの中にはね、何時の時代にも新しく頂けれる内容を持っておる。いつの時代でも助かられる内容を秘めておると言う事。その中味その中味が段々掘り下げられて来た。中味が段々それぞれの信心に依って体得されて来た。それを現代に於いては合楽の行き方にならなければ本当じゃないという見方なんです。それを神様は桜井先生を通して合楽の願いそのものが神の願いだと、今は変わらないものかも分からん。ですから、それを合楽願というても良いかも知れん。合楽の願い。
 その合楽願、合楽の願いそのものをです、皆さん一人一人が体得しなければならない。そこには一粒万倍というか、一人がおかげを受けた為にと言う様な一粒の種になれる様な内容を持っておる。これならば世界中何処へ持って行っても納得させられる。それを私は、和賀心時代と言っております。神様が御主人だという生き方、天地の大恩を分からせると云う生き方。それも決して嘘ではない、素晴らしいことです。だからこそあの様な御比礼を、その時代を風びする程しの御比礼になったことと言う事実がある。
 けれどもそれを世界中にです、それこそ原子爆弾的にですね、世界の誰でも分からせられる。なら、安武先生でも湯川先生でも世界の誰でも分からせられる内容を持っておるけれども、私が言うていることは、もっとより分からせられる内容を持っていると言う事。そこで立教神伝に続いて、いわゆる天地書附、生神金光大神、天地金乃神一心に願え、おかげは和賀心にあり。そこでその和賀心と言う事になって、いわゆる和賀心時代。いわゆる医学でも心で治すという時代が必ず早晩やって來る。
 ひどい注射とか、ひどい薬とか、切ったり刻んだりと言う事でなくて、必ずそういう時代が來るのですよ。心で治ると云う時代が。それは百年、千年のことじゃないかも分かりません。けれども必ずそういう時代が來る。いわゆる和賀心時代。その和賀心時代がです、いわゆる神の理想実現と言う事になる訳です。そこで先ず私の心に、先ず私の家庭に、私の職場にです、その和賀心というものがこの様にも尊く有難いものであると言う事を分からせて頂くおかげを頂かなければならん。
 先ず自分自身がその和賀心を頂かせて貰うことの為に様々な教えを頂き、又は精進をすることになる訳です。昨日その教報に書いてある安武先生、湯川先生とか大徳者が、又どうでも今の時代に必要だ。でもああ云う大徳の人は出るまい、出らんかも知れんというている人があります。いやそげなこっちゃ出来ん。どうでも出て貰わねばというとる人も有る。そしてそれがです、大阪とか九州とか言った様に離れてから、もうそこにひとつの信心の色が違うと言う様なものじゃなくて。
 本当金光教一色にならなければならないと言った様な、いわゆる天地書附という、天地書附、いわゆる和賀心である。これが金光教が一色になって行く。兆しを合楽が持っておるとこう云うのです。そういう和賀心を先ず先決としてです、神様が御主人であるという生き方もその内容として良かろう。天地の大恩を分からせて貰う事に依って天地の御恩徳に神恩報謝の生活も良かろう。けれどもどこまでも和賀心をもってです、それがなされなければならない。
 その和賀心が甘木の初代が天地の親神様の御物として、頂かれたことを私は御事柄として精進しておりますね。御物も大事にしなければならんけれども、それよりももっともっと御事柄を大事にする。お互いの間に起きて來る様々の問題、御事柄を大事にせなければならん。 その御事柄を大事にすることでもです、私の心が和賀心に満ちて来なければ大事に出来ない。私共はね、その和賀心時代に、いわば突入した、そしてその和賀心時代の一粒の種にならせて頂こうとお互いが願う、そういう願いがです。
 言うならば合楽願であり、同時にそれは神様の御神願でもあるわけです。合楽願と御神願とが一つになる。しかもこれならばです、世界のすみずみの人間にです、これを学問的に又実感の上に於いてもそれを説いて聞かせるならばです、分からんことはあるまい。しかもここに一つのこういう手本があるんだぞと手本までも見せておくならば分からんことはあるまいというのが私の申しておることです。合楽の信心を世界の市場に出そうとこういうのである。
 そういう願いを持っての信心、それが私は合楽の信心にいうならば便乗させて頂いたその信心であると思う。何といっても天地書附。天地書附けのそのままにです、いわゆる和賀心になることに依っておかげを受けるといういき方。言うならばここで二十年間、その和賀心にならせて頂く為の様々な教えが説かれた。神様が御主人だとか、天地の大恩を分かる為に説いて来たのではない。その和賀心一本に絞って説いて来た。ところが神様はその願いこそが神の願いとこう言われる。
 いわゆる合楽願と神願とが一つになって、なら、合楽願がそんなに素晴らしい内容を持っているというて私だけが言うたり、私だけが頂いとったんじゃ出来ん。ここに御縁を頂く全ての人がです、その合楽願に燃えなければならない。その合楽願に燃えるその事が御神願に通じる事である。即合楽願、御神願である。そこに神も助かり氏子も立ち行くという道がはっきりと開かれて來ると思う。そこに至って初めてどうぞ神を助けると思うてと教祖に神願いをなさっておられます。
 その事がです、実現の第一歩と言う様なことになって來るのじゃないでしょうか。その為に今日は立教神伝を改めて開いて貰うた。立教神伝が本当にそのまま神様の理想である。その理想を実現して行くことの為に様々に説かれてある。そして時代が変わってきた。そこに合楽の時代がやって来た。甘木の時代もあった。玉水の時代もあった。そこに合楽の時代が当然来なければならない。当然それをみんなが教団人の全部がです、合楽の生き方こそと分かって頂かなければならない。
 そういう信心が一粒の種になるところから、一粒万倍のおかげになってくる。教祖生神金光大神のご出現はそういう意味に於いて世界総助けとでも申しましょうか、世界救済の本当の意味に於いての、救済それは人間だけではない、それは神様をお助けすることが出来る程しの事。そこには神願と私共の願いが一つにならなければ出来ない。しかもそういう世界中に布教し得れれるひとつの普遍性といったものが、その内容になからなければ、現在の宗教とは云えないことになる。
 本当であってももう古い。世界中のものにこれならば、いうて聞かせれば分かる。よく聞いてもらいさえすれば分かるといった内容を持ったもんでなければならない。それを普遍性という。どこにでも染み込んでいけれる内容を持っていると言う事。それをこれは合楽願、合楽願というとるけれどもそれはそのまま、矢張り天地金乃神様が、教祖金光大神に願われたことはそのことなのだ。だからこれは合楽願。合楽願というて合楽が独りしめするのではない。
 合楽が提唱しておるところの私が、今言っておるところの願いというものが全教の者が持つことにならなければならない。信心持つ者の全てがその願いに立たなければならない。しかも燃えなければならない。あらゆる文明の時代から、科学、医学そういう時代を画した時代もあります。ここにどうでも和賀心時代と云うものがここにそれを皆が認めなければならない時代がやって来たんだ。
 去年七十年という年柄を境として人間が月の世界に行けれる程しになった時代、そこには人間の助かりも神の助かりも感じることは出来なかった。人間が月の世界に行けれる程しの学問が進んでも、そして心の時代だと皆が気付く様になってきた。ところが心時代と気付くだけじゃいけん。その心が和賀、和らぎ賀こぶというものでなからなければ人間の幸福と云うものにつながらないと生神金光大神は教えられた。
 そこでここに新たな呼び方をすると、和賀心時代と言う事になる。その和賀心時代の一人一人が提唱者にならなければならない。それを自信を持って人に話して行けれる信者にならなければならないと、言う事になるのじゃないでしょうか。今日はね、立教神伝と天地書附の合中のところを頂いたから、立教神伝の最後のところの神の理想実現のところ、神も助かり氏子も立ち行くという、そういう願いを教祖にかけられた、そういう願いをかけられたそういう願いを。
 段々信心の一つの過程を歩かせて頂いて、百十年たった今日、いよいよ本当のところに、いわゆる和賀心になり、教祖の仰るおかげは和賀心に在ると仰るその和賀心。その和賀心の時代がその一色にね、世界中が塗りつぶされる時こそ、御神願が成就することになる。為に私共はその一粒万倍になるその一粒の種にならなければならない。と、言う様なことを聞いて頂ました。
 昨日ね、四時の御祈念終って五時でしたろう、日田の綾部さんと高芝さんがお参りになりました。そこの信者控え室で色々お話を聞かせて貰って、高芝さんは娘のところに一寸行ってくるからといって待っとられる間に私がお話させて頂いた。それはどう言う事かというと、人間として生まれて来たことは大変なことだと言う事。この世に私共は人間として生まれて来たと言う事はこれは大変な事なんだから、本気でその大変だからと云うことが分かったらです。
 この世で本気で魂の清まりを願わなければ、そして人間の幸せはここに在りと思い込まなければと、言う様な意味の事をね、綾部さんにお話したと同時にあの信者控え室が響きわたる様な中を、閉めてあったのに中で大きなおいさみがありました。私がいいよることが嘘ではないでしょうがと、二人が感激させて頂いた。そして後も話を続けさせて頂いたことでしたけどね。
 もう人間に生まれてきたと言う事は大変なことなんです。それを大変なことと気付かずに我情我欲ばかりいうて一生涯終るとするならば、勿論これはお釈迦様もそういう心になることを目的に説かれた事であろう、方便かも知れません。だからこの世でいよいよ清まっとかんと、又何億年先にしか人間には生まれ変わって来られん。しかもその何億年の間はそれこそ牛やら馬やら様々なものに生まれ変わって来なければならない。
 この世で本気で清めておけ。この世で本気でその様に思い込んで、一生清め抜くことに勤めるということをお釈迦様は人間に生まれてきたことの重大さをね、その様な風に教えられたの。かも知れませんけどね。生れ変り説というのは、けれども人間に生まれてきたと言う事は、その様に大変なことであるから、それを気付かせて頂いた者は幸である。それを知った者は幸せである。あの世でも磨くことを続け抜くことであろうしね。それが分かった者はもう生まれ変わる必要はないという訳なんです。
 お釈迦様のが仰るのは。
 だから本当に私共はね、これは私一人のためにも私共が本気で魂の清まりを願うという、そこからしか和賀心というものは生まれて来ないのですから。和賀心、和賀心というけれども、限りなく美しくなりましょうという合楽の合言葉がその様な意義を持つことになるんです。本当に人間と生まれて来ておると言う事がその様な重大な意味を持つものであると本気でこの世に居る限り清まることに勤めねばならない。